こんにちは、イデトモタカです。
ここ数年、大企業向けにカルチャー変革の支援、具体的にはそこで働く社員の「Will」の解像度を高め、育み、実行を促すプログラムの企画と運営を行っています。
当然のことながら、そのプロジェクトでは参加者にことあるごとに「Will」を訊ねます。
「あなたはあなたらしく、この会社で何がしたいのか?」と。
しかしそれは暴力ではないか、「Will」を持たなければいけないという圧力(プレッシャー)、期待に辟易し、逆に苦しんでいる人もいるのではないか、という声もあります。
ちょうど今日、仲間とそういった議論になったので、あらためて僕なりの考えを整理しました。
補足1:「マイパーパス」を推奨する動きも、大枠では同じロジックの範疇に収まると思っています。
■大多数の人は“結実”したい
聖書をベースとする西洋宗教的世界観に反して、EvoDevo(進化発生生物学)の研究成果によると、人はかつて魚だったといいます。
妊娠中、胎内ではこれまでの人類の進化をわずか十ヶ月ほどで辿ると説明する生物学者(*1)もおり、実際、受精卵の成長初期段階は明らかに魚類、爬虫類的な見た目をしています。
しかし、さらにその前は「植物」だったはずです。人間の肺臓は明らかに植物だった頃の名残りであるとする記述(*2)もかつて読んだ記憶があります。
ここから、人は内臓系といった物理面だけでなく、精神面においても多かれ少なかれ「植物性」を宿している、と僕は考えています。
では、人の持つ「植物性」とは何か?
それは恐らく「繁栄」や「結実」の欲求です。植物も動物と変わらず、その基礎本能は「種の保存」であり「種の繁栄」でしょう。そしてそれを植物が行うには、基本的には「実」を結ぶ必要があります。「結実」です。
人間に置き換えた場合、次世代につながる、自分のDNAが刻まれた何らかの結果や成果を出すこと。つまり「自己実現」と呼ばれるものが「結実」に当たります。
これはマズローの欲求五段階説(*3)にも対応するため、それほど突飛な発想ではないでしょう。
補足2:ただし、植物とひと言に言っても多種多様であり、すべての植物が実を成らすわけではないように、万人が例外なく結実(自己実現)を求めているとも考えていません。あくまでも「そういう人が多い」というマジョリティな傾向として話を進めていくこととします。
補足3:この社会には心苦しいことに、一定数「バーンアウト」と呼ばれる症状の人たちがいます。文字どおり燃え尽きた状態で、無気力になりポジティブな活力が枯渇しています。酷い場合には治療の対象となりますが、今回の内容ではこの層の方々は想定しないものとします。
■Willがないまま働くのはイケナイことか?
「Will」をここでは「あなたはあなたらしく、(この会社で)何をしたいのか?」とひとまず定義したいと思います。
では、仕事をする上で「Will」がないとどうなるのでしょうか?
大半の人は一日8時間近く労働し生活の糧を得てることを考えると、「Will」がなければ人生の3分の1が「生活のため」に仕方なく消費される時間、我慢や犠牲の時間になりかねません。
いや、仕事は我慢(生活のため)でいいんだ。退屈も別のなにかで解消すればいい。という意見もあるでしょう。また、仕事は「好き」でやっていてお金も貰えるから文句はない。でもこれといった「Will」もない、という人だっているはずです。それもイケナイことなのでしょうか?
前者の「仕事は仕事」タイプの場合、給料以上の労働は損失でしかありませんから、生産性や創造性が高い人材にはそうならないでしょう。後者の場合、本人は充実しているかもしれませんが、野心がなければイノベーションを起こす可能性は低いです。野心があるのなら、それは立派な「Will」なので「Willのない人」ではなくなります。
話は戻って、「Will」がなく働くことはイケナイのか、ですが、決してダメなわけではないでしょう。ただ、会社側からすれば「いずれ雇用できなくなる」ということは理解しておくべきです。
テクノロジーが日に日に進歩し、どんどん労働者が不要になったとき、生産性も創造性も低い人間を、なぜ雇用しなければならないのでしょうか。
雇用主側からすれば、今いる人の生産性と創造性がもっと高まってほしいのです。そうすれば、時代や環境が変っても雇用しつづけることができ、会社も存続できるわけですから。
つまり企業側からの「Will」や「マイパーパス」の要求は、雇用主と労働者にとって「Win-Win」の提案だと捉えられるのではないでしょうか?
補足4:しかしそれでも「仕事はお金を稼ぐための手段でいい」と割り切るのであれば、それもまた選択の自由として尊重します。ただし、後ほど詳述しますが、立ち回りとしてはやはり不利です。
■Willがあると何がいいのか?
「Will」を仕事に持ち込む。それは言い換えれば「仕事の中に個人的事情を持ち込む」ということです。そうすることで、面白くないことを面白くし、使われている時間を使っている時間にしようという試みです。
けれども、仕事とは社会(他者)的な価値を提供し、それが金銭化されることで成り立つものですから、「個人的事情」が付け入る隙はありません。よく「やりたいことを仕事にしたい」という人がいますが、寝ぼけた話です。なぜ社会(他者)が、やりたいことをしているあなたにお金を払わなければいけないのでしょうか。
とはいえ、世の中には一見「自分の好きなこと(=個人的事情)」をやりながら、それが自由と収入につながっているように見える人がいるのも事実です。しかし会社の会議で「私は(個人的な事情により)こうしたい!」と言っても、そこに価値がなければ無視されるか、頭が悪いと思われるだけでしょう。
では、どうすればいいのか。
「思考の次元を上げる」以外にありません。
自分のやりたいこと(Will)を満たしながらも、仕事として社会的な付加価値につなげる。むしろ自分の「Will」を盛り込んだ方が、誰がどう考えてもより価値があると思われるように周囲を納得させるには、それらが結び合わされる高さ(最小公倍数)まで、思考のレベルを高めていく必要があります。
そうすると、副次的に間違いなく企画やアクション自体の社会性は高まりますし、自分の個人的事情(Will)を盛り込んだにもかかわらず、結果的にはよりアン・セルフィッシュな(利己から離れた)ものへと昇華されます。
これこそがつまり「創造性」であり、創造性の高い人は、会社でもいいポストが与えられるでしょうから、実生活も良くなるはずです。
しかしそうすると、今度は別の問題が立ち上がります。
■Willがあると人並み以上に仕事をすることになる
そうした「思考の次元が高い提案」を行い、実行するには、無論相応の実力が必要です。「考える」のも筋トレと同じですから、鍛えなければできるようにはなりません。
また、より高度な提案をするということは、それだけ難易度も上がりますから、人並み以上の努力も求められるでしょう。
加えて、それらの労力が報われる保証はどこにもありません。
そんなのは割に合わないでしょうか? けれど、人生とは(少なくとも僕の知る限り)そういうものです。大半は自力をつけるために退屈な平原で過ごし、頑張ったからといって、それが報われる保証なんて一切ありません。
でもそのなかにある、小さな成長、発見、自己の変容こそが、人生の大きな歓びを形成しているのではないでしょうか。あるいはその経験、その実感を持っていることこそが、僕が幸せ者である証左かもしれませんが。
■それはWillによる新たなエリーティズムではないか?
ここまで述べてきたことを、みんながみんな、実践できるとは僕も思っていません。
であるならば、「Will」とはかたちを変えたある種のエリーティズムなのでしょうか。僕は一部そのとおりだと感じています。
といっても、かつての選民思想(優生思想)のように、宿命に由来する選別ではありませんから、倫理的な問題はありません。
しかし繰り返しになりますが、ある種の「選別」であることには変わりない気はします。けれどそれは、企業の存続のために「許される選別」です。
「リーダーを選ぶ」ということなのですから。
先行きのわからない現代は、圧倒的なリーダー不足です。ゆえに大勢が乗った船を沈没させないために、明るい世界に導くために、次のリーダーを選び育てる必要がある。それも多くのリーダーが。そのとき指標となるものの一つが「Will」なのではないかと思うのです。
いやしかし、仮にそうであるならば、一つの船に複数のリーダーがいては余計に混乱するではないか、という話になるでしょう。確かにそれは問題なので、「Will」を持つリーダーのなかでも階層化され、より高次の、それぞれの「Will」をさらに包含する思考ができる人こそが、真のリーダーとして求められます。
理想的には、それがトップ(社長)の役割です。
また、無数の「Will」を持つリーダーたちを束ねるものとして今、船(企業)そのものに求められている「Will」が「パーパス」なのではないかと思います。
■おわりに
以上、「Will」を問うことは暴力か、についての僕なりの考えをまとめてきましたが、結論をひと言で言えば「暴力かもしれないが、それは組織存続のために許される」です。
そして仕事において「Will」はなくてもいいが、不利になる、と。
本当は「Will」の機能面だけでなく、感情面からも解説したかったのですが、さすがに長くなり過ぎたので、不完全であることを承知で一旦筆を擱きます。
それでも、あなたの思索の刺激になれば嬉しいです。
異論反論、感想ありましたらお気軽に。
では、また次回。
*1──三木成夫『内蔵とこころ』河出書房新社、2013
*2──出典不明(失念してしまいました)
*3──「自己実現理論」ウィキペディア、jp.wikipedia.org/wiki/自己実現理論