■向き/不向きは“量”の問題か?
かつてのぼくは「簡単に向き、不向きなんて話をするな」と思っていました。実際、過去にこんなエッセイを書いたことがあります。少し長いですが引用しましょう。
2010-08-06 <向き/不向き。> ピカソって、絵が上手じゃないですか。そりゃあもう、相当に上手なわけです。では、ピカソがあなたよりも絵を描くということに<向いている>のかというと、それはわからないんじゃないか、と思うのです。 おかしなことを言っているなんて、無視しないでちょっと聞いてくださいね。あなたとピカソのどちらが絵を描くのに向いているかというのは、あなたがピカソとおなじだけ絵を描かないと、わからないんじゃないかと思うのです。 現状、ピカソがあなたよりもたくさんの絵を描いていて、あなたよりも絵が上手だったとしても、それはピカソが<向いていた>からではなく、単に絵を描くのが好きで、それに費やした時間が長かったからなんじゃないかしらん。 そう考えると、ものごとの<向き/不向き>というのは、ほんとに「最後の最後」あたりの話というような気がします。 なにかにつけて、向いている/向いていない議論というのは、その対象と「付き合っている時間」の差なだけで、実際のところは<向き/不向き>の話をする段階にまで来ていないのではないかなぁ。ぼくはそう、思うのでした。 才能のせいにするのは簡単だけど、それだと両親に失礼ですからね。